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はじめに

今回から2回に渡り、大田原市にお住まいである宮部紀子様の言葉を掲載させてただきます。

技術的な内容を中心としている本セミナーではありますが“ふくし道具”を効果的に使用するために重要なことはやはり“こころ”です。
人が人を思う心・・・このような心が無ければ、医療・福祉業界のみならず、社会におけるすべての営みが途絶えてしまうことになります。
技術の向上を目的とする本セミナーではありますが、それ以上に“こころ”についても学んでいかなければと考えております。

今回の講師である宮部様は、福祉業界に長年に渡り貢献されてきた経験があります。プロの相談者として、多くの障害者、高齢者の方々の生活を支えてこられました。
その宮部様が、今、一人の“娘”として、お母様と共に過ごされる日々をお話して下さります。

【サイドストーリー】家族のつぶやき
宮部紀子

家族のつぶやき
〜在宅か施設かと揺れる日々〜

五月半ばから特別養老老人ホーム(特養)で生活している母とまた、八月から一緒に暮らすことにしました。その経過をお話します。

母は昨年十一月、百歳を迎えました。五年前から認知症の症状が現れ始め、その上、左足を二度も骨折(右足は七年前に骨折、回復)。手術とリハビリのお陰で寝たきりにはならず、伝い歩きが可能まで回復しています。が、移動は車椅子を利用し、在宅生活を続けてきました。
認知症の主な症状は、自分が何者で、今どこにいるのか現状が認知できない不安からか、「家に帰りたい」と言いつのり、居もしない子どものことを心配し、恐ろしい、恐ろしいと落ち着かなくなり、顔つきまで厳しくなります。このような不穏と言われる状態が、穏やかな状態の中で突然現れて、こちらが面食らうことがしばしば。顔を右から左に向けたら表情が変わっているというように早い感情の変化が特徴です。
勿論、六、七十年の記憶は欠けていますから、母の物語は時間と空間を自由に飛びまわって脈絡がありません。しかし、知恵や知識は残っているのでしょうか、機転のきいた会話は成り立つからおもしろいのです。
私のことはほとんど姉さんだと思っています。仲が良く、世話になった二歳と四歳年上の姉さんたちです。娘のノリコになるのはたまにです。以前、特養の施設長さんかた「家族の顔がわからなくなったら、家で看るのは難しいよ」と言われたことを思い出します。
こんな母と向き合って五年、サービスの利用を徐々に増やして、特養の入所前には、月曜日から土曜日までデイサービスを、月二回は二泊三日のショートステイを利用し、しのいできました。
白寿の祝いを無事終えた頃から年末にかけて、私の疲れは心身ともに頂点に達していました。夜間四、五回の排泄介助による睡眠不足、認知症状の対応からくるストレス、死んでしまいたいとさえ思うようになっていました。そうなると、「助けて!」と叫ぶことさえできなくなるのです。一番苦しい時期でした。
ケアマネージャーから、新しくできる特養の利用を勧められましたた。が、受け入れるのは容易ではありません。迷いました。
年明けに、自分の体の変調に気づき、検査が始まった段階で、施設入所を受け入れざるを得ないと考えました。しかし、結果が心配したほどではないことが分かると、また、迷いが出始めました。一方で、この現状を変えなければ、母と共倒れで先の希望が持てないと、恐れを抱いてもいました。
そのような時です。友人から『スウェーデン高齢者介護と夏至祭見学』旅行に誘われたのは。そして《希望とは、自分が変わること》という養老猛司の言葉に出会い、「施設のスタッフと一緒に面倒を見るつもりで」という友人のアドバイスにも後押しされてようやく決心ができたのでした。
入所させてはみたものの、寝たきりの人が多いせいか、いつも行っても、ポツンと一人で車椅子に座っている母が寂しそうでしたし、不安げな表情で出口を探して、施設の中を車椅子で動き回っている姿を見るのは、本当に切ないことでした。涙がこぼれました。
デイサービスでもショートステイでも認知症の症状で不穏になる時間はあるにしても、懐かしい唱歌を歌い、会話を楽しみ、笑顔を見せていた母でしたから。
だから、ほとんど毎日、短い時間でも出かけて行き、母の顔を見て話しかけることにしていました。
「あゝ、姉さん!うれしい、うれしい。今日はなんて良い日なの」と大げさなと思うほど、手をとって大喜びするのです。また、ある日は、「ノリコ何処へ行っていたの?さあ、かえりましょう」と、大真面目な顔。「あゝ、大切な人が来たわ」と、満面の笑みで迎えられる日もあります。様々な表情を見せてくれる母に、私は救われる思いでした。
施設に慣れるということは、この表情を失うのではないか、それでは母が母でなくなるように思えて、私は耐えられなかったのです。
スウェーデンは、子どもが十八歳になると、親から独立して自分の人生をつくり、独立した親と子が交流する家族関係の国であると聞いています。子どもが親を介護するのは皆無という高齢者介護を見てきて、私が決心したことは、母とまた、家で暮らそう、だったのです。
私は七十年、母と一緒に生活してきた自立できなかった娘です。そのため、子育て、戦後の暮らしの苦労を目の当たりにして成長してきました。その母に育てられ、支えられて、ここまで共にやってきたことを思いますと、いまさら離れて暮らす方が惜しいような気さえしました。
『勇気があるわね』、『自分がやりたいようにやるのが一番よ、やはり家が一番だよ』と、周りの反応は様々で、それもおもしろいと思いました。
入所前に利用していたデイサービス、ショートステイの施設でも、『またタミさんの笑顔が見られるわ』と、快く受け入れてくださいました。
認知症状が回復することはないですから、介護の大変さは以前と変わりはないでしょう。しかし、これまでと私の気持ちが違うことに気付いています。母と真っ向からの勝負ではなく、身をかわしながらの介護ができるような気がしているのです。それも、二ヶ月余りの休息と旅行で、私はリフレッシュできたお陰であると思っています。
味方になってくれる援助者も見つかりました。
「二、三時間くらい代わって看てあげるわよ」と、元ヘルパーさん。「連れていらっしゃい。明治生まれのお母さまは大好きだから」と、デイホームの施設長さん。
公的サービスではない融通のきく私的な助けが必要で、ありがたいことです。「何もしたことがないから、介護が趣味よ」なんて、軽く自分の口から出た言葉に驚きます。そんな訳はないのですから・・・・・。
また、悩み、怒り、ショートステイ利用中の不在にほっとする日々でしょう。
しかし、百歳を越えた母にある時間はそう多くはありません。私にとっても貴重な時間です。むしろ、母のためではなく、私に悔いが残らないために、母に協力してもらうのかもしれないと思います。母からの最後の支援です。
大きな課題、終末を迎える覚悟も持たなければなりません。それでも、やりおおせたときの達成感と安堵感を思い、スタートを切ることにしています。

次回、スウェーデンの高齢者介護を見て感じたことをお話ししたいと思います。

このセミナーに関するご意見・ご感想等はこちらより。お待ちしております。

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